仕事を終えて、ひと息つく夜。
好きなお酒を軽く一杯だけ飲む時間は、昔から大事にしてきた。
でもある時期から、なんとなく物足りなさを感じるようになっていた。
味に飽きたわけでもないし、銘柄を変えても気分は変わらなかった。
そんなとき、知人から贈られたのが、一脚のグラスだった。
正直、それまでは普通のグラスで飲んでいて、特に不満はなかった。
でもその日、いつものウイスキーをそのグラスで飲んでみた瞬間、ちょっとだけ空気が変わった。
手に持ったときの軽さ、唇に触れたときの薄さ。
注いだ液体の色が映える透明感。
味がどうこうというより、所作そのものが変わった感覚があった。
この一杯に、ちゃんと向き合っている感じがした。
モノが変わると、時間の質も変わる
グラスを変えてみて思ったのは、
道具が変わると、自分の意識も自然と変わるということ。
いつもならついスマホを見ながら飲んでいたのに、
気づいたら机の上にスマホを置いたまま、黙ってグラスを眺めていた。
不思議と、ゆっくり飲もうという気持ちになった。
ただのお酒の時間が、
自分に戻るための時間に変わった気がする。
それからというもの、ほかのグラスも少しずつ試すようになった。
Zaltoのワイングラスも使ってみたし、バカラの重厚感のあるタイプも気に入っている。
それぞれのフォルムや厚み、重さで、自然と飲み方も変わる。
気分に合わせてグラスを選ぶという行為自体が、自分のリズムを整えるきっかけになっている気がする。
たとえば、Zaltoのような繊細なグラスを使うときは、
テーブルの上も少しだけ整えたくなる。
照明を落として、音楽を少しだけ小さくする。
その一連の流れが心地よくて、1日の締めくくりが少しだけ丁寧になった。
モノは、空気の入口になる
ホームパーティーで友人を招くときも、グラスを出す瞬間には少しだけ気を使う。
料理や会話と違って、グラスってあまり目立たない存在だけど、
それがいいグラスだと、それだけで空気のトーンが整う気がしている。
気取っていると思われたくないけど、ちょっとだけいい感じにはしておきたい。
そのさじ加減に、グラスという存在はちょうどいい。
いいグラスを使ったからといって、人生が劇的に変わるわけじゃない。
でも、そういう小さな違いをちゃんと楽しめる余裕があると、
暮らし全体の温度が少しだけ上がる。
結局、僕がグラスに惹かれたのは、機能性よりも、その所作に変化を与える力だった。
丁寧に扱いたくなるものを、日常にひとつ持つ。
それだけで、自分の時間を少しだけ大事にできるようになる。