人を自宅に招くようになったのは、そんなに昔のことじゃない。
最初はちょっとした流れからだった。
飲み会のあとに、
うちで少しだけ飲み直す?と軽く声をかけてみたら、
想像以上にすんなり「いいね」という返事が返ってきた。
自分で言っておいて正直、そのときは内心ちょっと焦っていた。
片づけてあったつもりの部屋も、急に人を迎えるとなるとこれでいいのか?という目線になる。
玄関に脱ぎっぱなしの靴、出しっぱなしのグラス、手の届かない位置にあるティッシュ。
ふだんは気にならなかったことが、急に目につく。
でも、いざ部屋に上がってもらうと、
あれこれ気にしていたことは、相手にとっては大したことじゃなかったらしい。
むしろ、グラスや照明、流していた音楽にさりげなく反応してもらえたのが嬉しかった。
そのとき思った。
自分が「いいな」と思っていたものって、ちゃんと伝わるんだなって。
完璧じゃないからこそ、心地よかった
あの夜、料理を用意していたわけじゃない。
冷蔵庫にあったビールとチーズ、それにナッツを軽く皿に出しただけ。
それでも十分に話は弾んだし、何より僕自身が無理をせずに過ごせた。
お酒を注ぎながら、音楽の音量をちょっとだけ下げたり、
途中で足りなくなったグラスを交代で使ったり、
そういう小さな気遣いの積み重ねが、意外と空気を作る。
もちろん、うまくいかなかったこともある。
スマートスピーカーが反応しなくて変な音楽が流れたり、
Wi-Fiが急に不安定になって動画が止まったり。
でもそれすらも、話のネタになって笑えるくらいの余白があった。
それ以来、少しずつ自宅に人を呼ぶことが増えた。
何を出すかよりも、どんなふうに過ごしてもらえるか。
完璧じゃないからこそ、リラックスできる場所になることもある。
ホームパーティーって、そういうちょうどいいゆるさが魅力なんだと思う。
暮らしを誰かと共有するって、思っていたより豊かだった
いろいろ言ったけど、結局のところ人が好き、もてなすのが好きってのがあるんだと思う。
今では、自分の好きなグラスを使ってもらうのも、選んだ音楽をBGMに流すのも、
全部含めて「おもてなし」だと思ってる。
高級な料理じゃなくても、整った部屋じゃなくてもいい。
自分の暮らしをそのまま見せられる場所で、人とゆっくり話せる時間って、すごく贅沢だ。
お酒を飲むのが好きで、人と話すのも好きで、でも騒がしい場じゃない関係も大切にしたい。
そういう感覚の延長に、ホームパーティーという形がぴったりハマったのかもしれない。
